SEREAL 株式会社 CEO/Designer 安達 誠寛氏
GxPartners.LLP マネージングパートナー&COO 中原 健氏
西海陶器株式会社 代表取締役社長 児玉 賢太郎氏
起業するにはどうしたらいいのか。
起業をしたいけれど、なかなか踏み出せないし覚悟もない。
そんな学生の皆さんのために、学生起業、就職後の起業、アトツギ(後継ぎ)とさまざまな形で経営者となった3名にご登壇いただき、学生時代から起業までを体験談を踏まえてお話しいただきました。
中原氏(以下中原):GxPartnersの中原です。本日はパネリスト兼モデレーターを務めさせていただきます。
GxPartnersは福岡市に拠点を置くベンチャーキャピタルで、三人の共同パートナーで起業しています。スタートアップに投資をし投資した金額が大きくなって返ってくるという、いわゆるキャピタルゲインを産むことを目指していて、そのためにスタートアップが成長するお手伝いをしています。
長崎日大高校を卒業後九州大学に進学、2003年に卒業し、就職氷河期といわれていた時代に日本政策金融公庫に就職し融資の仕事をしました。
2014年からは日本政策金融公庫に勤めながら、兼務という形で一般社団法人StartupGoGoにかかわるようになり、ピッチイベントをスタートさせました。
兼務が難しくなり、2018年に15年勤めた日本政策金融公庫を退職しました。その後ファンド設立準備をしながら、2019年からGxPartners.としてVCを立ち上げ今に至ります。
普通の大学生が普通に就職し会社員を経て、起業をしたという例ですね。
安達氏(以下安達):SEREALの安達です。Startup Studio SEREALという会社の代表とデザイナーをやっています。スタートアップ企業を量産するスタートアップみたいな会社だと思ってもらえたらと思います。具体的には、UIデザインUXデザインやプロダクトマネジメントなどのデジタルプロダクトを使いながら、シード・アーリーステージ(創業初期のスタートアップ)に特化させてプロダクトを一緒に開発しPMF※までに最適なプロセスを提供するという事業をおこなっています。
島根県出身で九州大学に入学する時に福岡にきて、大学院まで行きました。卒業してフリーターを経てスタートアップ起業を創業しましたが、方向性の違いで一度解散し、その後個人事業主としてSEREALを創業しました。
2020年に法人化をして今が3年目です。最近ではプロダクト開発だけでなく、マーケティングやカスタマーサクセスの構築をする事業もスタートさせています。
※PMF(プロダクトマーケットフィット)
カスタマー(顧客)の課題を満足させる製品を提供し、それが適切な市場に受け入れられている状態
児玉氏(以下児玉):児玉です。長崎県の波佐見町にある焼き物の商社、西海陶器で代表をしています。
長崎日大高校を卒業後東京の大学に行き、その後アメリカに1年間語学留学をして、2009年に親の会社である西海陶器に入社しました。
入社後すぐ中国に行き、会社を立ち上げました。3年後に東京の会社を立て直すため日本に戻り、2016年からは本社である西海陶器の代表をしています。
現在は中国以外にもアメリカ・オランダ・シンガポールなどにも会社を設立し、日本だけでなく世界中で波佐見焼を販売しています。
また、波佐見焼のブランド価値を向上させることにも力を入れていて、廃業した焼き物メーカーの土地を買い取り、カフェや雑貨販売をするなど観光のハブ的な場所を作って情報発信をしています。
跡継ぎでありながら、父からも創業魂を忘れるなということを言われたので、自分でも会社を立ち上げて運営しております。
中原:大学生の悩みごとはやはり進路だと思います。
私たち3人のパネリストが大学生の時に何をやっていて、どんなことを考えて大学卒業後のことを決断したのか、行動やその時の思考をお話いただきたいと思います。
児玉さんはアメリカには卒業してから行ったんですよね?
児玉:そうです。私勉強は得意ではなかったんですが人前でしゃべるのが好きで、長崎日大の時は生徒会長をしていました。
推薦で日大に行き、大学では特に勉強もせずふらふらしていました。
一応就職活動をして数社の企業から内定をもらいました。私の趣味に通じるおもちゃ関係の企業数社から内定をいただきそのまま企業に就職することも考えたのですが、将来的に家業を継ぐことは分かっていたので、それだったらアメリカ行って英語を話せるようになれたらと思って、アメリカに行きました。
中原:家業を継ぐことが決まっているのに、なぜ就職活動をされたんですか?
内定をもらったおもちゃ会社に就職して好きなことをやりたい、長崎に帰りたくないとは思わなかったのですか?
児玉:伝統産業ということもあり「あとを継ぐものだ」と生まれた時から思っていて、そこには何も疑問はなかったんです。父も楽しそうに仕事していましたし。
色んな人から「社長の息子としてそのまま親の会社に入るよりいろんなことを勉強するためにも一般企業に入った方がいいんじゃないの?」と言われ、それで就職活動をしたんです。それでおもちゃ関係の企業を受けたんですけれども、ただ「後は継がなきゃいけない」ということは明確にわかっていたので、見聞を広げるためにアメリカへ留学することを最終的には選んだといった感じです。
中原:安達さんはどのような学生でしたか。
安達:九大の芸術工学部に行っていたんですけど、学校には行かず、大学院の時も学校に行かず・・・気づいたら卒業していました(笑)周りが就職活動をやりだしたので僕も少しはやってみたのですが、なんか違うなと違和感を感じ本腰を入れてはできませんでした。
中原:どのような違和感でしたか?
安達:1つ挙げるとすると当時は就活のルールが結構あってそれを守るように言われていたんですが、それを守りたくなかったんです。なんでこれをやらされるのかわからないのに、でもやらないと受からないとか言われて・・・そこに違和感を感じてしまってあまりやりたくないなと思ってしまいました。
中原:就職しないことで、将来に対する不安みたいなのは抱かなかったですか?
安達:それはずっと不安でした。不安だなあと思っているうちに気づいたら卒業をしていたんです。時間って過ぎていきますよね、勝手に(笑)卒論を書けって言われて、卒業するためにそこは頑張って書いたら書けてしまって。卒業しなきゃいけなくなったので卒業しました(笑)
中原:能動的な選択はせずに、卒業したって感じですね。
安達:そうですね。大学にずっと居てもしょうがないとの思いもあり、卒業してからフリーターをしていました。でも唯一就職活動でDeNAっていう会社が面白いなと思ったんですよ。ITは面白いなというのがキーワードとして残りました。
中原:就活をするまではIT系に全く興味がなかったのですか?
安達:はい。パソコンは持ってなかったですし、タイピングも全くできませんでしたね。
中原:じゃあ就活自体は、なにか良いきっかけになったのかもしれない?
安達:きっかけにはなっていますね。ITに興味があるなと思って卒業した後に創業したので。
生きていくためにホームページみたいなものなら何とか作れるかもと考えたのがスタートです。
中原:なるほど、ありがとうございます。
ちなみに安達さんと違って大学時代の私は、先ほど安達さんが仰っていた「就活のルール」みたいなものをちゃんと守り、いわゆる普通の就活をしていました。
就活をしていくと「どこの業界に興味があるのか」といったお決まりの質問があるんですが、けっこう絞れないですよね。その頃は一度会社に入ったら辞めることはあまり考えていなくて、そんな中で業界を決めるのはちょっと難しいなと感じていたんです。
就活をしている時のように今後も業界を見続けたいなと思った時、金融系だったらそれができるかなと思いました。金融系ならいろいろな業界の人と、しかもトップと会えるし、いろいろな業界の事を皆から仕事を通じて教えてもらえるんじゃないかなと思って金融機関に就職しました。
お二人と比べると全然面白くないんですが(笑)
安達:ちゃんとしたルートですね(笑)大事です(笑)
中原:次に、「卒業後、会社経営者になるまでの間にやったこと」を伺っていきます。
安達さんは、卒業してフリーランスになってその後1回ご友人と創業されてますよね?
安達:フリーランスというかフリーターになって、飲食で働いていました。
飲食でやっていくか就活で興味を持ったITでやっていくか迷っていた時期があるんですが、飲食でやっていくのは難しいかなと思い、ITで起業しようと決め最初ホームページの制作を始めました。働いていた飲食店のお客さんに売り込みしていました。
その後スタートアップしたいという仲間とイベントで出会い、3人でスタートアップの会社を創業しました。卒業してから1年後ぐらいのことです。
でも、事業の方向性とかでかみ合わないところが多々ありまして、僕が抜けました。
会社を抜けた後、ご飯食べていくためにUIデザインやっていこうということでSEREALを創業しました。最初の創業時にデザインをする人がいなくて先立ってデザインをやっていたのが役に立ちました。
中原:UIの知識がさほどない状態で、それで生計を立てていこうと決めたことに対して不安はなかったんですか?
安達:不安はあったけど迷いはなかったですね。就職はもうできないし、他に何も勉強してきてないんで。
今できることについてほぼ選択肢がない中でUIデザインというものが目の前にあった感じですね。
中原:UIデザインは独学で学んだんですか?
安達:そうですね。当時はUIデザインを教えるところがなく先駆者みたいな方があまりいなかったので、逆にやり易かったですね。いろいろな経験がある人も僕みたいに何もない人もみんな同じ地点からのスタートなので、ある意味ラッキーでした。
中原:児玉さん、アメリカに留学したきっかけについてもう少し詳しくお聞かせいただけますか?
児玉:先ほどもお話ししましたが、高校時代諫早の長崎日大に通っていました。波佐見出身ですが長崎県中に友達ができたんです。
東京の大学に行くと、北海道から沖縄まで日本中からみんなが来ていますので全国に友達ができました。ですが、それと同時に日本もそんな大きくないなと思いました。
もしアメリカ行ったら世界中に友達ができるんじゃないかなと何となく思って、就職するよりもアメリカに行って世界中に友達を作るほうが将来あとを継ぐ上で面白いのだろうなと思ったのが1つのきっかけです。
アメリカに行くと日本のことを聞かれるので、日本のことをより深く知ろう、日本の歴史をもっと知ろうと思うようになりました。自分のアイデンティティーと向き合う機会がものすごく増えてきて、それは今のビジネスの考え方にものすごくプラスになったなと思いますね。
中原:私は日本政策金融公庫で融資の仕事をしていました。2012年に福岡に転勤して、創業支援に関わる部署に配属されました。ちょうど福岡市がスタートアップ都市宣言をした年でした。
そういったタイミングも重なり、スタートアップに積極的にかかわっていこうと思い始めたのが2014年です。そこからStartupGoGoというイベントを安達さん達と一緒にスタートさせました。
日本政策金融公庫に勤務をしながら、起業するまでの下準備をしていました。会社員はいきなり起業するよりも副業を活用して下地を作るのが安全策なのかなと最近よく思いますね。
安達:国の金融機関からVCに行こうってなかなか思わないと思うんですけど、何で起業しようと思ったか教えていただけますか?
中原:1つはスタートアップの世界に魅了されたからです。
スタートアップの方々と関わっていると、今まで自分が触れたことのない世界に触れる機会が多くあります。建前がなく、社会的意義やミッションを前面に出しているスタートアップという世界に次第に面白さを感じていきました。
もう1つは、1つの会社に骨を埋めることに危機感を感じたからです。
自分のキャリアとしてずっと公庫にいることに怖さを感じていました。1つの会社の中にいると得られるスキルの一定上限が決まっていると感じていて、このスキルのまま一生を送って安全なのかという危機感を持っていました。公庫にいれば安泰だねと言われることが多かったですが、自分としては全く逆だと思っていましたね。
就職した時と同じくいろいろな世界に触れていきたいという思いもあり、自分でVCとしてやっていきたいと起業しました。やりたいことと危機感が合わさって起業したといった感じですね。
安達さんはどうですか?フリーランスを5年くらいされていたということですが、そこから株式会社にして従業員を雇うとなると、難易度が上がるし責任感も全然違いますよね。
その辺りを決断することについてはどうでしたか?1人目の従業員を雇う時、怖さなどはありませんでしたか?
安達:それは結構ありましたね。やっぱりお金が一番怖かったですね。給料を払わなきゃいけないっていうことですから。でも雇ってみたら意外とうまくいくもんだなと。仕事も増えてますしね。責任があるからこそやらなきゃいけないと、制約を課すことで頑張れました。
児玉さんはいかがですか?起業を選択するというのは感覚的にはないのかな?
児玉氏:そうですね。父に言われて、というところが大きいです。
就職することでいろんな経験が得られると思うんですが、自分で会社をやるって当たり前ですが本当に何でもやらないといけないんですよね。
中国に行った時、中国語が話せないので、まず日本語と中国語を喋ることができるスタッフを安く雇用しました。そのスタッフに給料を払わなければならないので、そのスタッフに「仕事を作る」という仕事が生まれてくるんですよね。
経営者として人をどう遣ってどう仕事をしていくのか、その最初のきっかけになったのが中国だったと今でも思います。
中原:起業していなかったら何をやっているか想像できますか?
安達:ユーチューバーやってかもしれないですね(笑)飲食で起業するか、ITで起業するか、お笑い芸人になるのか、3つで迷ってました。ユーチューブがもっと早くきていたら、そちらに行っていた可能性がありますね(笑)
中原氏:児玉さんは何か想像したことがありますか?
児玉氏:継いでなかったとしても、起業していた気がします。自分で何かするのと、人と一緒に何かするのが好きなんです。秋葉原でメイドカフェをやっていたんじゃないかな(笑)
中国に行った時もそうですが、好きなことや楽しいことをやっていると日常は大変でもとても充実しているんです。基本的にはそういう感じなので、親の会社に入ってなかったとしても何かしら起業していたと思います。
中原:逆に、起業して/あとを継いで後悔したことはありますか?
児玉:後悔はしていません。ただ、創業と違って後継ぎの場合は、事業や建物などの恵まれた資産とともに負の遺産も引き継ぐんですよ。
例えば、働いている人の7割は先代が採用していますし、在庫にしても自分が好きなもので倉庫を満杯にしたいのにそれが難しい。ゼロから起業するのとあとを継ぐのでは、ちょっと違うところがあるなと思っています。
ただ私は良い形で継ぐことができたので、自分も次の世代により良い形でバトンを渡したいなと考えていますね。
安達:起業して大変だったことはいっぱいありますけど、後悔したことは一度もないですね。僕だけでなく、周りの経営者の話を聞いても後悔している人にあったことはないです。
中原:私も後悔したことはないですね。やはり大変なことはいっぱいありますが、そこは乗りこえていくしかなくて、起業しなければよかったとか公庫を辞めなければよかったと思ったことはなかったです。辞めた翌日に漠然とした不安に襲われたのが一晩だけありましたが、今考えると後悔とは違うものだと思います。
中原:将来起業したい人に、今のうちにこれをやった方がいいとか逆にやめた方がいいことがあったら教えてください。
安達:学生起業がいいのかどうかは別として、やっておけばよかったなと思っています。
学生でしかできないチャレンジの仕方ってあると思うし、単純にもっと早く経営の方法等を身に着けたかったなと思います。失敗する分にも早くやっとくべきだったなと思っています。
児玉:あんまり考えすぎるのはよくないのかなと思いますね。起業したいって思ったその気持ちがすごく大切だと思っていて。
安定した形で就職した方がいいんじゃないかとか思うかもしれませんが、起業したいと思う人ってどんどん少なくなってきていると感じていますね。
今日ここに来ている学生の中で少しでも起業したいと思っている人がいるなら、その一歩を踏み出すってことはすごく大切なことだと思いますし、その気持ちを大切にしてほしいですね。
中原:もう答えが出つつあるというか、皆さん起業は勧められるという結論だと思いますが、経営者の先輩として今日参加した皆さんに一言応援コメントをお願いします。
児玉:私は、長崎の波佐見という田舎からでも世界中の人とつながっていると実感があります。世界中の人たちに私たちが考えているものが届けられ、伝えられていることにやりがいを感じていて、今はそれができている実感があります。
本当に自分がやりたいことを通して世の中とつながっていってほしいと思います。
安達:起業というと何かとても大きなものに感じると思いますが、何か1つ小さいことでもやってみたらいいかなって思いますね。例えばメルカリで売ることもそうですよね。
あとは生業を作るってすごく素敵なことだなと思っています。
スタートアップスタジオという新しいビジネスモデルを作りましたが、うまくいけば真似をする人や儲ける人も出てきます。スタートアップスタジオがあることによって新しく恩恵を受ける人が増えるわけです。生業を作ることにぜひチャレンジしてみてほしいなと思います。
中原:全員が起業する必要はなく、起業は一つの選択肢だと思っています。ただ、自分がやりたいことだとか、社会課題を感じたり実現したい世界があるのなら、スタートアップやベンチャーで起業することは有効な手段の一つだと思います。
チャンスを逃さないために日々行動することを心がけてほしいですね。どうしてもやりたいことが見つかった時には迷わず動いてみるという「実行力」を意識して、これから過ごしていただけるといいのではないか思います。
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